日記を人生好転のきっかけにしたい男の挑戦

公開日:5/23/2026

誰にも読まれないから日記にはなんでも書ける。

でも、
そんな日記なのに、誰かの意見を聞いてみたくなる。

そんな気持ち、
わかりますか?


実は、、、
私はもう2年近く日記を書き続けている。


日記って言っても、

「今日は〇〇をやりました。
 ××が難しくて、苦労した。
 △△をもう少し□□できれば良かったかもしれない」

なんて書かない。

・上司の無責任な態度に腹が立った
・娘が「おはよう」と少し笑顔で言ってくれて嬉しかった
・SNSに投稿する文章が作れずに無駄な時間を過ごしてしまった

こんな感じに、

箇条書き
かつ
文章ですらない。


そんな日記だから続いたのかもしれない。


日記を書き続けることで得られる効果

正直、
日記を書き続けることで何か得をしたい

そんなことを思って始めたわけではない。

ただ、
思ってることを文字にする

それ自体が、子供の頃から好きだっただけ。


でも、
さすがに2年もやってると、

「あれ?これって日記の効果じゃないか?」

ってことも微かに感じることがあるんです。


私が一番感じている効果は、

自分の感情を捕まえやすくなった

ってこと。


いや、これ、、、、

わからん人には全くわからんことですよね。

「自分の感情を捕まえる?
 自分の感情くらい、初めから自分で捕まえとかんかい!!」

って感じで、
まったく共感してもらえない。


私も若い頃は、

「自分のことなんか自分が一番知ってるだろ?」

って思ってました。


逆に、

「自分で自分のことがわからないなんて、
 ヤバくない?」

くらい思ってたんです。


でも、

実際には、
自分のことって、誰よりもわからないもんです。

みんながみんな、
そんなふうに思うなんて言ってない。

中にはそんな人もいるし、
なんなら、私自身がそんな人間でした、、、、

って話。


自分って、
何に興味を持っていて、
何を恐れていて、
何を好きで、
何を嫌いなのか?

何に感動して、
何に腹を抱えるほど笑って、
何に血圧上がるほどイライラするのか?

どんな願望を持っていて、
どんなふうにかこの効果を引きずって、
どんな今を望んでいるのか?


そうですねぇ、、、、

40歳を過ぎた頃、
私は私自身のことをわからなくなったんです。


「あれ?自分は何を望んで生きてるんだっけ?」
みたいな。


まぁ、

それはいろんな原因があるんだけど、、、、

その辺の話は今回はおいておいて。



とにかく、
日記に自分の感情を書き続けているうちに、
わかってきたんです。

自分が何に感情を動かすのかが。


そりゃ、毎日書いてりゃわかってもきます。

「あ!これ、イライラするパターンだ!」
とか、

「お!これ、テンション上がるヤツだな!」
とか。


日記に自分の感情を書くってことは、
自分の感情の動きのパターンを掴むこと

そんな意味合いがあったのかもしれない。


とにかく、
日記を書き続けることで、
私は私の感情を捕まえることができ始めた。

それは同時に、
自分とはどんな人間なのか?
を知るキッカケにもなった。

書いた日記は読み返されない

日記なんか書いたってムダ。

私もまったくの同意見。
正解!


日記なんか書いたってムダ。

そこに、
感動の物語も、
クスッと笑えるエピソードもない。

ただの駄文、
貧困なボキャブラリーが産んだ、
幼稚な言葉たちが並ぶ。


なもんで、
読み返されることなんかない。

これが日記をムダたらしめている原因のひとつ。


書いても書いても、
読み返されることなんかないのである。


私は日記を2年続けた。

あとで読み返せるように、
アプリを使って書いているので、

「去年の今日、何をしてたのか?」

なんて思い立てば、
一瞬で、その日付の日記を引っ張り出せる。


でもそれをしない。


これって何かに似てるな、、、、
と思ってたんです。


こんな、
書くことに一生懸命になって、
とにかく書いてる時は

「意味がある」

と思いながら書いてる。


ところが、
書き終わってみると、
2度と読み返すことはない。

どころか、
思い出すこともない。


ああ!
反省文とか、
読書感想文と同じなんだ。


書いてる時は、
反省してるし、後悔もしてる。

書き終えるまでは、
その作品の頃を一生懸命考えてる。


でも、
書き終わっちまえば、
あとは頭の片隅にも残らない。


当然、
読み返されることなんかない。


それでも、
反省文や読書感想文は、
少なくとも意味がある。

書く意味があるし、
読む相手もいる。


日記にはそれがない。


書く意味もなければ、
読み返す意味もない。

いや、
意味を持たせることはできる。


「日記とは、感情整理のためのツールである」
とか、

「日記とは、自己の成長の道のりである」
とか。


でも普通はそんなこと考えない。

私?
私はただ、
文章を書くのが好きだから書いてる。

それだけ。


書くのが好きだから書いてる。

でも、
読むのは好きじゃない。

つまり、
書いた日記は読み返されることはない。


これをムダと言わずに、なんと言おうか?

日記×AIという超自己満足な日記活用法を思いついた!

好きで書いてる文章(日記)だけど、
他の誰かに読ませることはない。

これは、絶対に!


そんなもん、
恥ずかしいに決まってる。

鼻から飛び出た鼻毛を見られた、、、

そんなもんじゃない。

ズボンもパンツも穴が空いていて、
お尻の穴を見られた!!!!

くらい、
ショッキング、
かつ
恥ずかしい。


でも、、、、

たまに、
こんなこと考えてる自分って、
どうなのよ?

みたいに思うことがある。


客観的に見たら、
今日の自分の感情の動きってどうなのよ?

って思うことがある。


で、
一度自分の日記をAIに読ませたことがあった。

ChatGPTだったかな。


当時のチャットを探してみたんだけど、
見つからなく、、、

うろ覚えの記憶をもとに、
AIの返答を思い出してみると。。。


たしか、

喜怒哀楽のうち、
喜びと怒りに関する記述が多い。
そしてそのふたつの感情がかなり極端に出ている。
客観的にみてこれは、日常生活に支障を与えるレベル。
でも、それに対してなんの対処も講じていないのが問題。
感情を捕まえ、文字に起こせる。これが今の状態。
そこからさらに、感情を手懐け、飼い慣らすくらいでないと、
日常生活に平穏は訪れません。

そんなことが書いてあった。


「これだ!」
と、興奮したのを覚えています。


日記を書くだけ。
読み返さない。

だから日記はムダである。


でも、
文章を書くことが好きなので、
好きなことはできている。

だし、
なんとなく、
自分の感情について、
捕まえやすくなってきた

という効果も感じてる。


でもそれだけじゃ、
日記を書く意味としちゃあ弱い。


で、
AIを使った日記のレビュー
を思いついた。

これは、
誰にも読ませないつもりの日記を読んでもらい、
客観的な目で分析をしてもらう

という行為。


でもわりと、
自分を変えていける、

そのための原動力になるって
なぜか確信してしまっていたんです。


すっぱだかの丸出し状態。
それが日記。

その生まれたまんまを、
AIに読んでもらい、
レビューしてもらう。


「あんた、こんな傾向があるね?
 ここんところをこうしたら、もう少しマトモになるかもしれないね」

そんなアドバイスをもらう。


で、
そのアドバイスをもとに、
自分の選択や行動を変えてみる。


ダメでもともと、
少しでもいいこととか、面白いことが起きれば、
それだけで儲けもん。


ってなわけで日記×AIの仕組みを作ってます

日記はObsidianというメモアプリを使って書き残しています。

調べると、
ObsidianとAIってのは、相性がいいみたい。

理想は、
Obsidianで日記を書いて、
Obsidianで日記を開いて、

そのままObsidianから離れずに、
コピペすらもせずに、
AIに日記を読ませて、レビューまでさせる。


要は、

  1. 日記書く
  2. 日記管理
  3. 日記をAIに読ませる
  4. 日記のレビューをAIにやらせる

この流れをObsidianでやりたい、ってことです。


わずかな効果を感じつつも、

ムダだとも思っていた日記。


そこに、
意味を見出し、
私自身の人生を好転させるキッカケとする。


果たして、、、、

どうなるのかはわからないけど、、、
少なくとも、ワクワクしてます!

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