私が人生の主権奪還を考えるようになった理由
自分の人生なのに、
自分で選んで生きられてないなって思いませんか?
それなのに、何をしていいのかわからない。
当たり前のように、
毎日仕事へ行く。
休日は疲れて終わる。
それでも、
大きな不満はない。
でも、
「このままでいいんだろうか」
そういう思いが、どこかに残っている。
で、
問題は、
これらのことって、
自分で決められてないのに、
自分で決めているって思ってしまえるってことです。
実は私もそうで、、、。
私は自分の意思で、
自分の人生を選んでいるんだって思ってた。
大学も。
就職も。
転職も。
でも振り返ると、
ほとんどの選択は
自分で決めたのではなく、
決められたものを選んでいた
だけだったのかもしれません。
今日のお話は、
そんな私がなぜ今、情報発信をしているのか。
なぜ実験ログみたいな記事を
このサイトに上げているのか。
ここに触れていきます。
順風満帆のはずだった
私はずっと、
自分の人生は自分で選んで生きている。
そう思っていました。
いや、
正直に言えば、
そんなことをわざわざ考えないくらい、
「自分で選んでいるのが当たり前」
だと思っていたんです。
会社員として働いて、
役職も経験して、
経営者にもなった。
世間一般で見れば、
特別すごいわけではないにせよ、
「まぁ順風満帆な人生だよね」
そう言われてもおかしくない生き方だったと思います。
だし、
「経営者です」って言うと、
たいてい少し興味深そうな目で見られる。
それだけでも、なんとなく
「私は、わりといい人生を歩いている側なんだろう」
そういう気になっていました。
家族がいて、
帰る家があって、
豪勢ではなくても毎日ご飯が食べられる。
テレビも冷蔵庫もある。
夫婦それぞれ車も持ってる。
最新機種じゃないけどスマホも持っている。
自分たちはともかく、
子どもたちには新しい服も買ってあげられる。
少しだけど貯金もできていたし、
急な出費にも、わりと平気な顔で耐えられる。
特別な何かを望まなければ、
十分に満たされている人生のはずでした。
あるキッカケがなければ。
満たされているはずなのに、満たされない
キッカケは、
ひとつではなかったと思います。
仕事のこと。
家族のこと。
この先のこと。
順風満帆に見える毎日の中で、
最初は小さかった違和感が、
少しずつ大きくなっていきました。
ちょっとした出来事をきっかけに、
その違和感はチクチクと心を突いてくる。
「なんか、満たされてない」
そんな感じでした。
でも、
頭で考えても正体がつかめない。
だって、
満たされていると思っていたから。
生活はできている。
家族もいる。
仕事もある。
これで十分なはずなのに、
なんでこんなに空っぽなんだろう。
空っぽ?
不安とか、不満とか、、、
そんな感じでもあった。
何が足りないんだろう。
何が不足しているんだろう。
たぶん、
この感覚に覚えがある人は、
少なくないんじゃないかと思います。
外から見れば問題ない。
でも、
自分の内側だけが、どうしても納得していない。
そんな感じです。
父が最後に教えてくれたこと
少しだけ、父の話を。
私は、父に対して、
ずいぶんひどい態度をとってきました。
不満をぶつけて、
見下して、
無視して、
ないがしろにして、
鬱陶しがっていた。
でも父は、そんな私に、
ちゃんと愛情を注いでくれていました。
そんなことに気づいたのは、
父が他界してからでした。
私はずっと、
父に嫌われていると思っていたんです。
たぶん、父も私も、
そういう気持ちを伝えるのが下手だったんでしょう。
ヘタクソ人間です。親子そろって。
でも、
父が残したノートを見て、私はひっくり返りました。
「ぼうろへ。わだかまりを捨て、ちぎれそうな縁の糸を、もう一度、紡ぎ直していきたい」
「ぼうろ。私たちの関係で、君が自分を責める必要などない」
「ぼうろ。君はなんでもできる。何にでもなれる。私は父として、それを応援しよう」
涙が出ました。
父が私をそんなふうに見ていたなんて、
そんなそぶりは微塵もなかったからです。
そして、
そのノートには、こんな言葉もありました。
「ぼうろ。自分で選んだ人生を、自分の好きに生きて欲しい」
たぶんそのノートは、
父が病気で入院したあとに書いたものだと思います。
字が震えていたから。
ペンを持つ手にも、力が入らなかったんだと思う。
私がそのノートを見るとは限らないのに。
それでも父は、書いたんですね。
そして私は、それを読んだ。
申し訳なさと、後悔と。
でも、
それ以上に、
不思議なくらい大きなうれしさがありました。
父が私に望んでいたのは、
親子としての関係修復だけじゃなかった。
何より、
私が自分の人生を、自分の好きに生きること
だったんです。
でも私は、
その言葉を心に刻んだつもりで、
結局また、
日々の忙しさの中に埋もれさせてしまいました。
ドン詰まりの中で聞こえた声
経営者になって3年。
私は、会社に行けなくなっていました。
理由はいろいろあるのですが、
一番大きかったのは、
個人の感情よりも、会社の長としての決断を迫られていたことでした。
業績の事情で、
従業員に解雇を伝えなければいけなかったんです。
しかも3人に。
オーナーの指示でもありました。
でも、
業績を見れば、必要な判断だということも分かっていました。
だけど、私にはできなかった。
対象者を呼び出して、
業績の話まではした。
でも、
その先の、言うべきことが言えない。
経営者として、やるべきことがやれなかったんです。
それでもオーナーからは、
「あの件、いつ頃まとまるか?」
と催促が来る。
そんな毎日でした。
私は会社にも行けなくなりました。
だからといって家族にも相談できず、
「行ってきます」
と家を出ては、車で延々と走っていました。
会社には行かない。
でも、行けないことも言えない。
会社には、とりあえず連絡はしました。
「取引先に行ってきます」
「経営セミナーです」
「展示会に呼ばれました」
そんなことを言いながら、
実は、ただ車を走らせていました。
時には連絡すらしない。
会社からの電話も無視していました。
それを、2週間くらい続けていたと思います。
最後には、オーナーから留守電が入りました。
「ぼうろ。なんで会社に出てないんだ? 連絡をくれ」
その日、私はもう本当にドン詰まりで、
山道を車で走っていました。
正直に言えば、
このまま道を外れて転落してもいいかな、
そんなことまで考えて。
そのときです。
頭の中なのか、心の中なのか。
よく分からないけど、声が聞こえた気がしたんです。
不思議体験をしたって話じゃなく、、、。
それは、父の声でした。
いや、
正確にはたぶん父の声。
でも、きっとそうだったんだと思います。
だって、あのノートに書いてあった言葉が聞こえたから。
「ぼうろ。自分で選んだ人生を、自分の好きに生きて欲しい」
私は車を路肩に停めて、泣きました。
会社を辞めたあと何も決められなかった
その日の夜、
私は家族に、自分の状態をそのまま話しました。
子どもたちは、たぶんよく分からなかったと思います。
でも妻は、
「うん。ずっと、お疲れさまでした」
と言ってくれました。
そして、
「しばらく好きなことやったらいいよ」
って言ってくれた。
翌日、オーナーにも話をしました。
すると、
「気づいてやれなかった。申し訳ない」
と。
会社は地方の小さなお店だったので、
大げさな手続きもなく、
半年ほど在籍だけ残して相談には乗る、という条件で、
私はスムーズに退任することになりました。
で、
そのあとどうしたか。
何もできませんでした。
妻に
「好きなことをやったらいい」
と言われたのに、
その好きなことが、
自分でまったく分からなかったんです。
自分は何が好きなのか。
何がやりたいのか。
何に興味があるのか。
本気で分かりませんでした。
それだけじゃない。
会社勤めのときは、
出勤時間から逆算して起きる時間が決まる。
生活には一応、枠がありました。
でも、
会社に行かなくてよくなると、
何時に起きればいいのか分からない。
何時に寝ればいいのかも分からない。
顔を洗うタイミング。
服を着替えるタイミング。
何を食べるか。
そんなことすら、わからない。
いや、
わからないというより、
自分で決められなかった。
「起きたくなったから起きる」
「眠くなったから寝る」
それすら、自分で選べない。
人の期待や役割に合わせて生きる時間が長すぎると、
自分で自分のことを決める感覚まおかしくなっていく。
あのとき私は、それを身をもって知りました。
そのうち、
一日中、家の窓から外を眺めるだけの生活になっていきました。
「ああ、コレはもう、生きててもしょうがないな」
そんなことを考えるまでに、
あんまり時間はかからなかったと思います。
ノートに書いた言葉が自分を連れ戻してくれた
ただ、
もし本当に終わるなら、
家族には言葉を残しておきたいと思うようになりました。
娘たちには、
この先何があっても、自分らしく生きてほしい。
妻には、とにかく感謝しかない。
母には、謝罪がたくさんある。
そんなことを、ノートに書き始めたんです。
そこでふと思いました。
「ああ、これって、オヤジも同じ気持ちだったのかな」
父と同じように、
自分の思うことを、自分の言葉で残そうとしていたんだと思います。
残したい言葉を書いたノートは、3冊になりました。
書いているうちに、
誰かに残したい言葉はだんだん出尽くして、
その後は、
自分の心の中そのものを書き始めていました。
子どもの頃、サッカーに夢中だったこと。
友達に誘われてサッカー部じゃなくバスケ部に入ったこと。
でも、そのことをずっと後悔していたこと。
本当は大学なんて行きたくなかったこと。
でも父に言われて行ったこと。
学費の支払いは苦しかっただろうな、でも、あの経験には感謝していること。
テーマも時系列も、
何もかも関係なく、
とにかく心に湧いてくるものを言葉にしました。
そんなことをやってるうちに、
だんだん見えてきたんです。
自分が何を後悔していて、
何に感謝していて、
何に怒りを覚えているのか。
分からなかった自分のことが、
少しずつ見えてきた。
人の期待に応えることに必死だった自分。
場の空気を読んで、自分の意見を押し込めてきた自分。
笑われたくなくて、世間体を気にしていた自分。
でも、
その奥には、
そんな自分を誰より諦めたくなかった自分
もいたんです。
今こうして思い出しながら書いていても恥ずかしいのに、
当時のノートには、もっと恥ずかしい本音が書かれています。
でも、そのおかげで、
私は自分を取り戻すことを決められた。
それくらい、失くしていた自分が多すぎたんですね。
自分の人生の主権を、取り戻したい
父が残してくれたように、
「自分で選んだ人生を、自分の好きに生きる」
その言葉に、今度こそ応えたいと思いました。
妻が言ってくれた
「好きなことやったらいいよ」
にも、
答えられる自分になりたい。
だから私は思ったんです。
自分の人生を、取り戻そう。
人の期待。
その場の空気。
世間体。
常識。
そういうものに振り回されないくらい、
もっと強くなりたい。
自分の人生の主権を奪還しよう。
自分の人生を、
自分で選んで生きていこう。
でも、
そのとき、
私はもう49歳でした。
気づくのが遅かった。
でも、遅すぎることはない。
気づいた時から始めればいい。
だから私はこの実験を発信している
それから全部が一気にうまくいったわけじゃありません。
今でも、
発信の方向があっちに行ったり、こっちに行ったりすることはあります。
迷うこともあるし、
定まらない感じになることもあります。
でも、根っこにあるものはずっと同じです。
自分の人生の主権奪還。
私の人生に足りなかったのは、
能力でも、環境でも、知識でもなく、
たぶん自分自身だったんだと思います。
だから私は今、
それを取り戻すための実験をしています。
思考を言葉にして、
過去を見つめ直して、
AIやノートも使いながら、
もう一度、自分の人生を自分の手に戻していく。
このサイトに書いているのは、
そのための記録です。
もしあなたも、
外から見ればちゃんとしているのに、
なぜか満たされないとか、
自分の人生を生きている実感が持てないとか、
そんな感覚を抱えているなら。
この実験記録は、
きっとあなたのためのものでもあります。
自分の人生を、
自分で選んで生きていく。
そのための試行錯誤を、
これからも私はここに書いていきます。
あとがき
ちょっと取り止めのない話になったかもしれません。
でも
今日はどうしても、この話を今の言葉で残しておきたくなりました。
私が情報発信をしている理由。
実験ログみたいな記事を上げ続けている理由。
それは、
自分の人生は取り戻せる。
その証明のためなのかもしれない。
私は、
自分の人生の主権奪還をすると
ここに宣言します!
その土台にあるのは、
たぶんこの話です。
もし今、
「このままでいいんだろうか」
と思う瞬間があるなら、
ノートでもスマホのメモでもいいんで、
本音を一行だけ書いてみてください。
人生を変える答えは、
案外そこから見つかるのかもしれません。