50代で『この人生でよかったのか』と考えるのは自分の人生を取り戻したいから

公開日:2026/8/1

50代で『この人生でよかったのか』と考えるのは自分の人生を取り戻したいから

なぜ50代になるとこの人生でよかったのかとか考えてしまうんだろう

「これまでの人生、
これでよかったのか」

そんな声が、
ふとした瞬間に、
自分の内側から聞こえてくる。


仕事の帰り道。
お風呂に入っている時。
布団をかぶって、
眠ろうとする瞬間とか。


何か特別なことがあったわけでもないのに。

というか、

何も起きない、
いつも通りの一日の中で、

その声は聞こえてきたりする。


「自分は満足できているのか」
「本当にやりたいことができていたのか」
「本当は何がしたかったんだろう」
「この人生に、悔いはないか」

なんで、
50代になると、
こんな問いが浮かんでくるんでしょうね。
(ん?私だけ???)


私も、
散々この声に付き合ってきたので、
ちょっとそこんとこ、
考えてみたいと思います。

残り時間が見えてくる歳だから

20代や30代の頃って、
人生はまだまだ

「これから!」

だったんですよね。


失敗しても、
やり直せる。

方向転換だって、
いくらでもできる。

そんな気がしてました。

だって、

そう思えるだけの時間が、
目の前に確実にあったんですから。


でも、

50代になると、
その感覚が変わってきましたね。


例えば、、、

定年っていう文字が、
どっか遠くの他人事から、
自分の予定表に変わるみたいな。


親を見送って、
子供の将来を考えて、

そして、

自分自身の老後も、
急に現実味を帯びてくる。


「まだ間に合う」

そういう感覚から、

「もう時間は限られている」に変わる。


で、

残り時間が見えてきたとき、
人ははじめて振り返るんですね。


今まで走ってきた道のりを、
後ろから照らして見てしまう。


それって、
衰えでも、
後ろ向きなことでもなくて、


残された時間を、
ちゃんと自分のものにしたい、
っていう、
まっすぐな本音からくるものだと思うんです。

積み重ねてきたのは自分で選んだ人生だったか

進学、
就職、
結婚、
転職、
昇進。

そのひとつひとつの場面で、
自分は本当に

自分で選んでいたのか。


「こうするしかない」
「みんなそうしているから」
「期待に応えないと」


そうやって、
気づかないうちに、

自分の心の声より、
周りの期待や世間体を優先してきた瞬間って、
たぶん、誰にでもあると思うんです。


その時々は、
それが正解だと思って選ぶんですけどね。

実は、

自分以外の何かに

選ばされていた

みたいな、、、ね。



それが、間違っていたとは思わないんですけどね。

ただ、
50代になって振り返ったとき、


「あれは、
本当に自分が選んだことだったのか」

っていう思いが、
心の中に浮かび上がってくるんです。


で、

これって、
後悔じゃなくて、
確認作業なんだと思うんです。


自分がこれまで、
どれだけ自分の意思で人生を歩んできたか。

その答え合わせを、
ずっとしたかったのかもしれません。

役割を果たしてきた自分と本当の自分のズレ

夫として。
父として。
会社員として。

50代になるまでに、
いくつもの役割を果たしてきました。

役割を果たすっていうのは、
誰かの期待に応えるってことでもあるのかも。

マジメで、
一生懸命で、
頼りになる自分。

そういうのを、
長い時間かけて演じてきた。

心当たりがあるかもしれませんね。


でも、

演じ続けてきた自分と、
本当の自分との間には、
少しずつズレが生まれていくんです。


「本当はこう感じているのに」
「本当はこうしたいのに」

そのズレに気づかないふりをして、
毎日を過ごす。


だけど、
ふと立ち止まった瞬間、
そのズレが急に大きく見えてくる。

それが、
「本当は何がしたかったんだろう」
っていう問いになるんですよね。

問いが生まれるのはまだ人生を諦めていない証拠

「このままでいいのか」

そんなふうに考えてしまうのは、

実は、絶望とかじゃない。
と、
私は思っています。


本当に人生をどうでもいいと思っていたら、
そんな問いすら浮かんでこない。

考えることすら、
メンドウになっているはずなんです。


だから、

問いが生まれるっていうことは、

心のどこかで、
まだ
「変えられる」
と思っている証拠。

まだ、
諦めていない。

まだ、
自分の人生を、
自分のものとして生きたいと思っている。


その声なき声を、
忙しさや日常に埋もれさせて、
気づかないふりする。

そうじゃなくて、
言葉にしてみる。


「何を我慢してきたのか」
「何をしたかったのか」
「何を諦めてきたのか」

そうやって心の声を言葉にしていくと、

これまでとは違う、
自分で選び取る人生が、
見えてくるんじゃないかと信じてるんです。



50代で感じるこういう問いは、
終わりの合図じゃない。

逆に、

ここからの人生を、
誰かの期待じゃなくて、
自分の言葉で選び直すための、

始まりの合図。

そんなふうに、
私は思っています。